もの悲しさが好き

私がそうでした。

子どもの頃。



妹を巻き込んで

おままごとをするのですが、

その設定がまあ、暗い暗い。



極貧で、

隙間風がはいる家に

身を寄せ合って暮らしている家族。



もの悲しさを通り越して

悲壮感に近いですね。



私の中に、

そういうものがピッタリくる心があった

ということです。







有名人の

含蓄あることば。

カレンダーになったり、

本になったりしていますが、

そういうことばには

もの悲しさを伴うものが

とても多いと感じます。



読んだとき、

「なるほどなあ」と気づかされる。

それはいいのですが。



端的にいうと、

一片のもの悲しさがある方が

世間ではウケます。



心がピッタリくる人が多いのです。




その人たちの中にある思い込みは、

明るいイコールばか騒ぎ。

もの悲しいイコールまじめ。

ではないかと。



明るいまじめでいいはずなのに。



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「静かな樹」は、
カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いて
カウンセリングを行っているのかを
書いていきたいと思います。


毎週月曜日 朝8時 更新予定です。


「良い」が隠れているのが「悪い」

前にも書いていると思います。

「良い」と「悪い」は

相反するものではないということ。




本来は「良い」のであって、

「悪い」は「良い」が隠れているだけ。



だから、

「良い」を引き出せば、

「悪い」はおのずと消えるのです。



「悪い」と格闘するから、

消えないのです。

そもそも格闘していることすら

幻なのですが。




「良い」をどうやって引き出すか。

そこが肝心です。

やみくもにやっても

結果は出ません。







「良い」は在る。

「悪い」は無い。



健康は在る。

病気は無い。



豊かさは在る。

不足は無い。



しあわせは在る。

不幸は無い。




まずはそういう認識に立つところから。



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「ありがとう」が照れくさいとは

母の日が終わり、

父の日がやってきます。


「日頃ことばにできない感謝を込めて」

などといううたい文句が

あちこちで見られる時期です。




「ことばにできない」のですか。

感謝という

一番大切な思いを。



面と向かっていうのが

照れくさいのですか。






そもそも、

「照れくさい」というのは、

相手に

あるいは周囲の人たちに、

許されることで成り立つ感情。



端的にいえば

甘えです。







私、

人生で一度だけ、

「照れくさい」ために行動を起こさず、

後悔したことがあります。

今その相手に会えるのなら

謝りたい。



その方はアメリカ人。

そうです。

「照れくさい」が通用しない範囲の人。




とてもお世話になったのに、

はっきりお礼をいわなかったんです。

そしてそのままお別れになってしまいました。



無礼でしかありません。





世界各国の事情を

知っているわけではありませんが、

「照れくさい」が通用しない国は

ゴマンとあります。



「いわなくてもわかるだろう」

と、何かにつけて日本人はいいます。



そういうこともあるでしょう。

日本人同士なら。



しかし、外国ではそうはいきません。

いわない イコール そう思っていない。

となるのです。



そして、たとえ日本人同士でも、

感謝のことばは

はっきりと口に出していうべきです。



それを

「照れ」だの「見栄」だのを

盾にしていわないのは、

「ありがとう」のすばらしい波動を

無視しているのと同じです。



「ありがとう」は、

いえばいうほど

「ありがとう」な事柄がやってくるのに。



いわれた方も

どれだけうれしいか、

計り知れないのに。



相手も自分もしあわせにすることば。

それが「ありがとう」です。





「照れくさい」は

本当にばかばかしいので、

捨ててください。



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良い方にも悪い方にも転ぶと思っていませんか

人生における物事すべて、

良い方にも悪い方にも転ぶ。

と思っていませんか。



そう思っていると、

常に恐怖がつきまといますね。



良い方に進んでいても

いつ悪い方に転じるか

わからないということだから。



すべては

結局、善に転じる。

これが腹の底からわかっていると、

良い方に行っていれば喜び、

悪い方へ向かっているように見えても

やみくもに恐れることはない。




善にも悪にも転ぶのが人間。

と思い込むのは

土台の安心感がないから。



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認める認めないの線引き

ここまでは認めるけど

ここからは認めない。



そういう線引きの基準は

どこにあるのでしょう。



端的にいってしまえば、

人それぞれの中。

ですね。






たとえば、

バスタオルを

毎日洗濯するかどうか。

私は数日に一回洗濯派なのですが、

毎日洗濯する人からすれば、

それでは汚いということになるのでしょう。



では、そういう人にうかがいたい。

あなたは、

歯ブラシを毎日替えるのですか。

口に入れて、

濡れたまま置いておく歯ブラシ。

また使うのは汚くないのですか。





私にも、

自分なりの線引きがあります。

台所で何かを触る際は

必ず石けんで手を洗ってから

というもの。




主人は

石鹸を使わずに洗うときがあるので、

ちょっと気になります。



でも自分でわかっています。

そもそも台所にあるもの全部が

清潔なわけではないと。



スーパーで買い物すれば、

レジの人が商品を触ります。

その手はお金をいじった手です。



で、家に持って帰って

冷蔵庫や棚にしまうとき、

いちいち消毒するわけじゃない。

つまり、十分汚い。




という、清潔 / 不潔の例を挙げましたが、

正しい / 正しくないだって

同じようなもの。



披露宴に呼ばれたとき

お金をいくら包むのか。

「友だちが包んできたのが

たった〇〇円だった。非常識」

「ほんとですね。あり得ない」


という投稿をネットで見ましたが、

私は、

「そうかなあ、十分だと思うがなあ」

と感じました。





離婚歴のある人との結婚なら認めるが、

伴侶と死別した人とは認めない。



これは私の身内の者がいったこと。

彼なりの理由はあるのですが、

納得しない人も多いはず。







基準は本当に人それぞれ。



それでいいと思うのです。

最も基本的なところさえ

押さえていれば。



ということで、

自分の行動に自信を持ちましょうよ。

ちょっとまちがえたら、

軌道修正すればいいだけのこと。



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