不幸を味わわないと幸せはわからない?

以前、某学校で、お母様方を前にしての講演後、

その学校の偉い方がこう発言なさった。

「私たちの世代は戦争を経験しているので、

命の尊さを知っている。

今の若い人たちは戦争を知らない。

だから、命を粗末にする。

そのことについてどうお考えですか」

私がどのようにお答えしたか、正確には覚えていない。

だが、賛同しかねたので、やんわりそう申し上げた。

終了後のアンケートに、

「この件について、さらにお話が聞きたかった」

と書いてくださった方がいて、

ああ、簡潔に答えたけれども、意図は伝わったなと安堵した。

 

偉い方のご発言に対して、私はふたつのことを指摘したい。

 

その1。

戦争を体験する。 → 命の尊さを知る。

戦争を体験しない。 → 命の尊さを知ることができない。

となると、命の大切さを知るには、戦争は必要だということになる。

 

その2。

戦争を体験することで命の尊さを知っているなら、

戦中派の中に殺人犯はいないのか。

戦後生まれの人たちは、皆、命を粗末にしているのか。

 

いつの世にも、「今の若い者は」と言う始まりで

自分より後の世代を批判する人がいる。

そういう人に私は、

「その世代を作ったのは誰ですか」と問いたい。

たけのこじゃあるまいし、

その辺にいきなり生えていきなりそう育ったわけではない。

 

テレビの街頭インタビューで、

 「最近の若い男性のヘアスタイルをどう思いますか?」

と聞いていた。

中年男性がこう答えていた。

「私たちの頃はロングヘアだったので、

それは理解できるけど、

今の若者のは理解できない」

 

これを聞いて、私は笑った。

自分たちがロングヘアをなびかせていたその当時、

親世代、祖父母世代が、

「理解できない」

と言っていたことをお忘れですか。

 

なんなのでしょうね。

自分たちの世代がしてきたことは正しい。

その後の世代のしていることは、

自分たちとは異質なので、正しくないということなのでしょうか。

 

「 戦争を体験しないと命の尊さがわからない」

という考えと似ているのが、

「病気になって初めて健康の大切さを知る」という考え。

 

何かを失わないと、ありがたみがわからないようでは、

いちいち、全部、失わないといけないことになる。

 

「体験しないとわからないはウソ」というのは私の持論のひとつ。

戦時中、食糧不足で大変な思いをしてきた世代が、

食べ物に文句を言い、食い散らかし、食べ残す姿、

冷蔵庫に入れっぱなしにした食べ物をしょっちゅう腐らせる姿を

私は見てきた。

 

私は戦後の生まれで、食べ物に不自由したことはない。

だが、そういう姿が悲しかった。

 

体験しないとわからないのであれば、

医者は永遠に患者の気持ちはわからないということになる。

同じ病気をした医者でなければ。

それじゃ困りますよね。

 

体験しなくてもわかる人はわかる。

体験してもわからない人はわからない。

 

わかろうとする気持ち、努力、

それが一番大事なのだと思う。

心の幅を広げることになるのだ。

 

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毎週月曜日 朝7時、更新予定です。乞うご期待。

平成24年9月30日 (中秋の名月)