不幸を味わわないと幸せはわからない?
2013年6月17日
以前、某学校で、お母様方を前にしての講演後、
その学校の偉い方がこう発言なさった。
「私たちの世代は戦争を経験しているので、
命の尊さを知っている。
今の若い人たちは戦争を知らない。
だから、命を粗末にする。
そのことについてどうお考えですか」
私がどのようにお答えしたか、正確には覚えていない。
だが、賛同しかねたので、やんわりそう申し上げた。
終了後のアンケートに、
「この件について、さらにお話が聞きたかった」
と書いてくださった方がいて、
ああ、簡潔に答えたけれども、意図は伝わったなと安堵した。
偉い方のご発言に対して、私はふたつのことを指摘したい。
その1。
戦争を体験する。 → 命の尊さを知る。
戦争を体験しない。 → 命の尊さを知ることができない。
となると、命の大切さを知るには、戦争は必要だということになる。
その2。
戦争を体験することで命の尊さを知っているなら、
戦中派の中に殺人犯はいないのか。
戦後生まれの人たちは、皆、命を粗末にしているのか。
いつの世にも、「今の若い者は」と言う始まりで
自分より後の世代を批判する人がいる。
そういう人に私は、
「その世代を作ったのは誰ですか」と問いたい。
たけのこじゃあるまいし、
その辺にいきなり生えていきなりそう育ったわけではない。
テレビの街頭インタビューで、
「最近の若い男性のヘアスタイルをどう思いますか?」
と聞いていた。
中年男性がこう答えていた。
「私たちの頃はロングヘアだったので、
それは理解できるけど、
今の若者のは理解できない」
これを聞いて、私は笑った。
自分たちがロングヘアをなびかせていたその当時、
親世代、祖父母世代が、
「理解できない」
と言っていたことをお忘れですか。
なんなのでしょうね。
自分たちの世代がしてきたことは正しい。
その後の世代のしていることは、
自分たちとは異質なので、正しくないということなのでしょうか。
「 戦争を体験しないと命の尊さがわからない」
という考えと似ているのが、
「病気になって初めて健康の大切さを知る」という考え。
何かを失わないと、ありがたみがわからないようでは、
いちいち、全部、失わないといけないことになる。
「体験しないとわからないはウソ」というのは私の持論のひとつ。
戦時中、食糧不足で大変な思いをしてきた世代が、
食べ物に文句を言い、食い散らかし、食べ残す姿、
冷蔵庫に入れっぱなしにした食べ物をしょっちゅう腐らせる姿を
私は見てきた。
私は戦後の生まれで、食べ物に不自由したことはない。
だが、そういう姿が悲しかった。
体験しないとわからないのであれば、
医者は永遠に患者の気持ちはわからないということになる。
同じ病気をした医者でなければ。
それじゃ困りますよね。
体験しなくてもわかる人はわかる。
体験してもわからない人はわからない。
わかろうとする気持ち、努力、
それが一番大事なのだと思う。
心の幅を広げることになるのだ。
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平成24年9月30日 (中秋の名月)