理解するということ

きのう、いやな夢を見ました。

 

夢の中で、私は医学生です。

昇級した、ある学年最初の日、

朝、時間前に教室へ行きますと、

すでに同級生たちが集まっていました。

Nも、Iもいます。

その日は教科書を渡されることになっており、

私も、それには十分間に合う時間に行ったのでした。

 

しかし、Nなどはすでにその上を行っていました。

先輩か誰かから情報を得たのでしょう。

教科書の単元に添ってバインダーを2種類、5冊ずつ揃え、

何やらシールに書いてバインダーに貼っていっています。

おしゃべりをしながらも、手は止まりません。

 

「出遅れた!」

私は非常に焦りました。

これから購買部にバインダーを買いにいっても、もう売り切れているだろう。

注文しても、届くのは1週間後。

その間に、Nを含むみんなはどんどん勉強を進めていくだろう。

1週間の遅れがどんなに大きいか、

前の年までの経験でわかっていたのでした。

 

私の焦りは恐怖に近いものでした。

今年1年また、勉強に追われ、

食いついても食いついても振り落とされる。

その感覚が蘇ってくるのです。

 

誰に助けてもらうこともできません。

自分の失態です。

自分でなんとかするしかないのです。

けれども、どうすればいいのか。

 

息苦しい思いで、目が覚めました。

隣りには主人が寝ています。

私はもう、医学生ではありませんでした。

 

解放された。

そんな思いがしました。

 

在学期間中、ずっとついてまわったあの思い。

あれが再現されてしまったのです。

本当につらかった、あの感覚。

 

夢を見たことをきっかけに、

当時、何がそんなにつらかったのか、改めて考えてみました。

 

大嫌いな分野の勉強をしなければならない。

その量たるや、膨大。

時間、ない。

それを5年も。

 

そのほかに、今回気づいたことがあります。

あの恐怖、切迫感、閉塞感。

それが100%は理解されない。

そのことが、一番つらかったのではないかと。

 

応援してくれる人はたくさんいました。

支えてくれる人もいました。

でも、あの感覚を理解できる人はいなかった。

なぜなら、嫌いな分野に敢えて飛び込み、

脳ミソが爆発するのではないかと思われるほどの量をこなす5年間なんて、

普通、人は選ばない道だから。

 

ああ、そういえば、夢の中で私は思っていました。

「なんでこんなところに来てしまったんだろう」と。

逃げ道は、ないのでした。

 

人は、理解されたい生き物です。

 

よく、「同じ経験をした人でなければわからない」と言います。

それは違う、と私は思います。

全く同じ経験なんて、できっこないのです。

経験の一部に焦点を当てれば、同じといえることもあるかもしれない。

けれども、そこにその人のバックグラウンドや周囲の人間模様が加わるのですから、

同じ経験なんてあり得ない。

 

わかろうとする気持ちがあるかどうか。

ただその一点だと、私は信じています。

 

その気持ちのある人は、

理解する心が広く深くなっていくのです。

訓練されていくのです。

 

私の5年間のつらさは、

「医者になれたんだから、いいじゃない」

なんていう言葉で終わらせてほしくない程度のものでした。

100%の理解は、誰にもできない。

 

それでも、わかろうとしてくれた人たちがいた。

複数いた。

だから私はがんばれた。

 

なんだか涙が出そうです。

がんばった当時の自分の頭をなでてあげたい。

支えてくれた人たちに、改めてお礼を言いたい。

そんな気持ちです。

 

いやな夢だったけど、いい気づきがありました。

 

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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを書いていきたいと思います。

 

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平成24年9月30日 (中秋の名月)