人生の一流プレーヤー

一流スポーツ選手のプレーや演技。

その華麗さかっこよさに、

あこがれる子どもは多いと思います。





でもたいていの大人は知っています。


華麗さかっこよさの陰に、

過酷な練習の積み重ねがある

ということを。





そういう練習はつらいもの。


やっている本人たちだって

つらいと感じているにちがいありません。




ただ、


つらいイコール困難だとは

思っていないでしょう。





辛さの先に喜びがあると知っていて、


あの人たちは

毎日地道に練習しているのです。





過酷 → つらい → 困難


ではなく、

過酷 → つらい → 喜び

という図式が

彼らの中にはできているのです。








人生も同じですね。

派手なことはそうそう起きず、

毎日はとても地味です。

過酷と思えることもしばしば。




その過酷を困難ととらえる人と、

喜びにつながるととらえる人とで

運命は大きく変わってきます。




過酷 → つらい


までは普通の感覚。





その先が、

→ 困難

なのか、

→ 喜び

なのか。





心のクセを見直してみてください。


そしてあなたも、

人生の一流プレーヤーに。



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「静かな樹」は、
カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いて
カウンセリングを行っているのかを
書いていきたいと思います。


毎週月曜日 朝8時 更新予定です。

前に進もうとしているのに進めないとき

前に進もうとしているのに、

進めないときがある。



私の人生にも

そういうときがあった。



今だって、ある。



苦しい。

なぜ? なぜ?

がんばっているのに。









そういうときは、

絶望しないよう

このことばを唱える。

「八方ふさがりでも天はあいている」








進まない。

止まっている自分。

このままどうなってしまうのだろう。




下を向きそうになる気持ちを抑え、

天を仰ぐ。

そこには必ず突破口がある。



そうやって、

私は今まで生きてきた。



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太陽にもの悲しさはない

もの悲しさが好きな人、多いです。



そのため、

もの悲しさが根底に流れる

小説、ドラマ、映画は

売れます。



そういうものが好きな人は、

自分の心の中に

もの悲しさがあって、

それが

小説、ドラマ、映画と

ピッタリくるのです。







人間はそもそも、

太陽のように

すべてを照らす創造主から

派生しています。



太陽が照らさないものはなく、

その光はあまねく存在します。



光に照らされたところに

もの悲しさはありません。




あるとしたら、

それはたとえば、

カーテンを閉めている窓の中。

光が射し込みませんので。




カーテンを閉めるか開けるかは

その人の自由。



まずは、

太陽にもの悲しさはみじんもない

ということを

思い出してください。



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全部、〇〇のせい。

悪いことが起きたとき。

とっさに、

誰の

あるいは何の

せいにしますか。





A. 社会や権力者のせい。

B. 親のせい。

C. 自分のせい。



必ず、A。

必ず、B。

または、必ず、C。

になる人がいます。

もしそうならば、


そのかたより、

修正した方がいい。





ある特定の存在のせいにしていると、

それで事足れりとして、

一歩も前へは進まないから。



たとえそれが、

「自分のせい」でも。







人生の責任はすべて

自分にあります。



しかしそれは、

ほかの人の人生は

含みません。



その境界線がはっきりしていない人が多い。

ということに、

数年前気がつきました。



責任を負い過ぎる人。

負わなさ過ぎる人。

両方います。



そして、この両者が互いを必要として

くっつきます。








たいていの場合、

責任を負わなさ過ぎる人だけが

責められますが、

私にいわせれば、

責任を負い過ぎる人にも

問題があるのです。



責任を負い過ぎる人というのは、

散らかっている他人の家に上がり込んで、

掃除してあげているようなもの。



掃除してもらっている方は、

きれいにしてもらえるのはらくちんだから

上がり込まれても、平気。






この関係、

際限がなくなります。


甘え、甘やかし、ズルズルと。









私が、「責任の範囲」と呼んでいるもの。



「自分がしあわせであることへの許可」

とともに、

潜在意識の中に

しっかりと確立されていなければならない

柱のひとつです。



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