そもそもが劣等感から
2014年9月29日
劣等感がまったくない人というのは、
この世にほとんど存在しないと思います。
お釈迦様、キリスト様ぐらいでしょう、
劣等感ゼロなのは。
とはいえ、おそらく彼らだって、
最初から劣等感ゼロだったわけではないでしょう。
お釈迦様は、裕福な家に生まれて苦労を知らないことが
劣等感だった可能性があります。
キリスト様は、
「罪」にまみれた肉体人間であることが、
劣等感だったのではないかと考えます。
そういう劣等感を感じなくてもよいところまで、
彼らは意識を高めたのです。
また、そういうことは劣等感として持ち続けるに値しないと
わかったのです。
劣等感をまったく持たない人はほぼ存在しない。
その中でも、劣等感の強い人とそうでもない人がいる。
このことには、みなさん、うなずいてくださいますね。
何に劣等感を持つかは、まことに千差万別です。
A さんと B さんが同じような境遇に生まれ、
同じような容姿や能力を持っていたとして、
A さんは強烈な劣等感を持ち、
B さんはそうでもないということは、あり得ることです。
どちらが楽に生きられるでしょうか。
B さんですね。
劣等感が小さければ小さいほど、
のびのびと自分らしく生きていくことができます。
それなのに、劣等感を持ち続け、
格闘したり、
隠そうとしたり、
克服しようとしたり、
ナニクソのバネにしたり。
大変な思いをするわけです。
劣等感はその人の人生を左右する。
そういっても過言ではないと思います。
劣等感は、格闘するものでも隠すものでも、
克服するものでもバネにするものでもありません。
お釈迦様、キリスト様のように、
それは感じる必要がないとわかればいいのです。
お釈迦様の出自は、どんなことをしても変えられません。
過去のことですから。
キリスト様が肉体人間に生まれたことも変えられません。
生まれちゃったんですから。
それでも彼らは、そういったことを
劣等感として感じなくなったのです。
その結果、偉大な存在として、
多くの人々を導くまでになったのです。
げに、劣等感の有る無しは、
人間の人生を左右するのであります。
今、私は、何の専門家になろうか、
あれこれ考えているところです。
そして、劣等感を扱おうかと思い始めました。
夢の実現を妨げるのも、
人間関係を悪化させるのも、
能力が発揮できないのも、
劣等感が足を引っぱっているから。
そういう面が大きいと感じています。
私の場合、ですか?
そりゃあ、劣等感に感じようと思えば感じられるところ、
いくつもありますよ。
20代前半まで、劣等感の嵐でした。
今、当時劣等感としていやだと思っていた点が
消滅しているのでしょうか。
そんなことはありません。
それでも、その嵐からは抜け出しています。
お釈迦様、キリスト様まではいかなくても、
のびのびと生きています。
ずいぶんと、楽です。
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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。
どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを
書いていきたいと思います。
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平成24年9月30日 (中秋の名月)