なぜ 「大丈夫」 なのか

自分という存在が、
まるで風船のように大空を流されているのなら、
これほど不安なことはありません。



自分という存在が、
確実に “ あるところ ” へつながっていると
はっきり思い出したなら、
安心そのものの境地となるでしょう。



「大丈夫」 なのは、
人がみな、確実にあるところへつながっているから。

その一点なのです。



つながっているどころか、
そこから生まれ出たのが人間。

そのことを、ちょっと忘れていただけなのです。

だから、大丈夫。


すべて。


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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを

書いていきたいと思います。

 

毎週月曜日 朝8時、更新予定です。乞うご期待。


仕事は楽しんでいい

仕事はつらいもの。

そう決めてかかっていませんか。


つらくなくてはいけない。

そう思い込んでいませんか。



つらくないと、がんばったことにはならない。

楽しんでしまっては、仕事を軽んじることになる。



そう思い込んでいると、
仕事はずっとつらいままです。



そもそも、
努力を楽しむことを
自分に許可しないと。


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「親のせい」は第一段階

単なる甘い生活を夢見て結婚しますと、
( うちの母みたいに。)
おもしろくない事柄がたくさんあることに愕然とします。

そのうち、あれよあれよで妊娠します。

こうなるともう、
自分の思い通りになんかいきませんので、
不満タラタラ。
( うちの母みたいに。)




そんな親に育てられますと、
親としての自覚がイマイチですから、
子どもが苦労します。




また、そんな配偶者を持った人、
こちらも不満タラタラになりますので、
( うちの父みたいに。)
「こんなはずじゃなかった」同士がいがみ合うことになります。




そんな夫婦の間に置かれますと、
子どもはつらい思いをします。




そして、子どもは、
そういう家庭に生まれたことによって
いろいろな体験をすることになります。

自分の意思とは関係のないところで。




と、思うでしょう?

実はちがうのです。




人は、この人生で体験すべきことすべてが
自分に必要であると知った上で生まれてきます。

どんな親の元に生まれるかなんて、その最たるもの。

あとでいくら努力しても、
生みの親は替えられられませんから。




「産んでくれと頼んだ覚えはない」
などと親に向かって言う人がいますが、
覚えがないのは当たり前。

ほとんどの人は、生まれる前のことを忘れていますもの。

自分が選んできたなんて、覚えていないのです。

でも、親さえも自分で選んだと知ったなら、
人生そのものが、自分の責任の内にあるとわかります。

そうです、親を恨んでいては済まなくなるのです。




いくつになっても「親のせい」にして、
その先へ進もうとしない人がいます。

誰かのせいにするのは、実は楽なこと。
自分の責任じゃない、と言っていられるのですからね。




「親のせい」にしたくなる気持ちはわかります。

でも、そこで止まっていてはなりません。

人生がもったいない。





「自分の人生の全責任は自分にある」
と宣言してこそ、
過去を肥やしとして、
今と未来を切り開いていくことができるのです。




同時に、ほかの人の人生の責任を負うのはやめましょう。

その人が、自分の人生の責任を負う機会を
奪ってしまいます。

一生、あなたという松葉杖がないと生きていけない人間を
作り出すことになります。




誰もが自分の人生を生きる。

そうでなくては。


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すべての原因を過去と外に求める人


今、自分は不本意な状態にある。

なぜこうなったのだろう。

親のせいだ。

社会のせいだ。




そう納得するのはかまわないのですが、
何かというと、
「親の接し方が悪かった」
「社会のこれこれが悪で、そのせいで自分は」
という方向に思いが行き、
いつもそこで終わってしまうとしたら、それは問題。

誰々が悪いと決め、
自分はあくまでも被害者。

そういう考え方は、
自分を悲劇のヒーロー、ヒロインにしていきます。

自分で自分をかわいそうな人間として
憐れむのです。




憐れむべき自分。

そんな自分でいれば、
人はかわいそうだと思ってくれるだろう。




はい、確かに。
かわいそうだと思う人もいます。

しかし、ずっとかわいそうだと思ってもらって生きていたら、
その先どうなるのでしょう。

かわいそうだと思う人が、
一生めんどうを見てくれるのでしょうか。




よくいるんです。
自分は被害者でかわいそうな存在だから、
誰かが自分のために働いてくれて当然だと
思っている人。

そういう人のカモになったら大変です。

搾り取られます。




自分を被害者にしておくと、
実は、搾取する側にまわることになるのです。

なんと、加害者になってしまう。

ということですね。


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