小さな行動がすべて地球に還っている

あたり前になっていること。

人間は、地球にくっついて生きているということ。

万有引力というもので。



人間は、万有引力を発見したけれども、
どうしてそれがあるのかはわからない。

科学は解明や開発の手段だが、
科学では作れないものが山とある。
そのことは、謙虚に受け留めなければいけない。

まったくの無から有を作ることはできないのだ、人間は。


地球は万有引力で、人間をしっかり引きつけている。
植物を育て、そこから酸素を出している。
海を持ち、それが水分の供給源となっている。

まだまだたくさんある、地球からの恩恵。

それらがあたり前となっている人が多い。

さらには、自分が取る小さな行動が
すべて地球に対しておこなっていることだと
気づかない人も多い。



歩きたばこをして、
その吸い殻を地面に投げ捨てる。

地面は地球なのに。

ゴミの分別をせずに出す。
それが焼却されて有害な煙が出る。

大気も地球の一部なのに。

タダだかららといって、
出先で電気や水を必要以上に使う。

電気も水も、
元は地球がくれたものだと忘れたか。

安いからといって次々に服を買い、
数ヵ月着ただけで捨てる。

服の原料だって、地球から生まれているのだ。

アイドリングストップと書いてある場所で、
ちょっとの間だからとエンジンかけたまま
車を停める。

そのちょっとがいけないから、
やめようと言っているのに。


人間は地球なしには生きられない。

人間は地球とともに生きている。

なぜ、それがあたり前になってしまうのか。



あなたが歩いているのは、地球。

あなたが、
お金を払ったから自分のものだと主張しているものは、
すべて地球から。

あなたが、あとは誰かがなんとかくれると
思って取る行動は、
地球に還っているのです。


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書いていきたいと思います。

 

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豊かであるのは健全なこと

「健康でありたい」と願う。
そういう人を見て、「強欲だ」とは思いませんよね。

「金持ちでありたい」と願う。
そういう人を見ると、どうですか。
「強欲だ」と思いますか。思いませんか。

金持ちということばではなく、
豊かということばだったらどうでしょう。

「豊かでありたい」
これならなんとか許せますかね。

お金は抜きにした豊かさならいい、
ということですかね。



豊かさには、お金が介在するときがあります。

豊かさイコールお金ではありません。
あくまでも、豊かさの中に、
お金が介在する面があるのです。

お金は豊かさの現れのひとつです。

原始的な生活をしているのでない限り、
お金を抜きにした豊かさはないのです。



「健康でありたい」は、
たいてい身体の健康を指しますが、
心も健康でありたいものですね。

心が真に健康であるとき、実は、
豊かさもついてきます。

もし、
豊かさイコールお金だ。
お金を求めるのは強欲なこと。
だから豊かでありたいとは思わない。
となるなら、心の健康にちょっと不足があります。

「豊かでありたい」と願うことは、
「健康でありたい」と願うことと同じぐらい、
人間にとって自然なことなのです。

人間は、本来健康で、本来豊か。

だから、そこに戻りたいと願うのです。



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でもだってだからの3D

前回、
前後に関係なく「でも」から話し始める人がいる、
と書きました。




「だから」で話し始める人がいます。

聞いていてどうですか。

理屈っぽく感じませんか。





「でも」「だって」「だから」を、私は3Dと呼んでいます。

「どうせ」を入れて4Dにしてもいいかもしれませんね。

いずれも、必要以上に使わない方がいいことばです。


日本語は、含みを大切にする言語です。
そして、日本人は、はっきり言わない方がよいとすることがあります。

「でも」「だって」「だから」も、
使わずに済ませることはいくらでもできるのです。

そんな中でこれらを多用すれば、耳につくのは当然のこと。



話す内容も大切ですが、
そこに散りばめられていることばの種類に、
気を配ることも大切ですよね。

使うことばで、その人がわかりますものね。




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だってでもけど

いい年した大人が、
「だってナニナニなんだもん」などとは言わないと思いますが、
子どもでも、「だって」は使わせない方がいいですね。

必要なときには自分の意見をはっきり述べる。
そういう人間に育てたいとしても、
「だって」から述べたのでは、言い訳にしかなりません。



「でも」は、逆接の接続詞です。
それなのに、どんなときも「でも」で文章を始める人がいます。

クセになっているので、本人は意識していないかもしれません。
テレビのコメンテーターなどに、よくいるのですよ。

逆接で話し始めるクセ。
相手の言ったことを否定しているのと同じことになりますね。



「けど」。

自分のことや自分の意見を述べたはいいが、
必ずそのあとに「けど」を付ける人がいます。

自分自身を十分尊重していない印です。
自分が発したことばを尊重していないのですから。

自分を尊重するようになれば、「けど」なんて付けなくなります。

まずは、意識して「けど」を減らしましょう。
「けど」「けど」と言われ続けると、
「この人、本当は何が言いたいのだろう」
と、聞いている方がイライラします。



人間関係を円滑にするには、
「だって」「でも」「けど」を、
必要以上に言わないことです。




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執すれば善も善にあらず

がんこジジィやがんこババァは嫌がられます。
自分を曲げずに押し通そうとするからです。

ジジィやババァでなくても、がんこな人はいます。

そういう人には友人が少ない。
和を乱すので、みんなが楽しくないからです。



がんこな人が押し通すのは、
「正しい」「善である」と本人が信じていることです。

「正しい」「善である」から皆もそれを知るべきだ。
そう信じているのです。



そういう態度を「我を通す」といいます。

正しい、あるいは善であることにはまちがいないかもしれませんが、
それをどんな場面でも押し通そうとしたとき、
それは善ではなくなってしまうのです。

本当に押し通さなければいけないときは
どんなことがあっても押し通すべきです。
他人に流されてはいけません。

しかし、そうでもないのにやたら正義や善にこだわると、
融通が効かなくなってしまいます。



おおらかさは大切な徳です。

懐深く、その奥にはしっかりと正義と善が根づいている。

そういう人こそが、人を引きつけるのではないでしょうか。



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